生野銀山
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史跡・生野銀山「金香瀬抗口」

 

史跡・生野銀山

 
  • 生野銀山は大同2年(807年)に銀が出たと伝えられる。 室町年間の天文11年(1542年)には但馬守護職・山名祐豊(すけとよ)が銀石を掘り出し、開坑の起源といわれている。 永禄10年(1567年)には自然銀を多く含む日本最大の鉱脈(慶寿ひ)が見つかる(銀山旧記には、"銀の出ること土砂のごとし"と記されている)。 その後、織田信長・豊臣秀吉の直轄時代を経て、慶長5年(1600年)徳川家康は、但馬金銀山奉行を配置、佐渡金山、石見(いわみ)銀山と並び天領として徳川幕府の財政を支えてきた。 享保元年(1716年)には「生野代官所」が置かれ、やがて生野銀山は第八代将軍・吉宗の頃に最盛期を迎え、月産150貫(約562kg)の銀を産出した。(写真は、史跡・生野銀山「金香瀬抗口」…2023.11.27) 晴時々小雨、気温12℃。

住所:兵庫県朝来市生野町小野33-5。 TEL:0774-76-2256。 入城料大人:1.000円。 駐車場:無料。

営業時間:9:10〜17:20(季節により変更あり要確認)

定休日:年末年始、12月〜2月の毎週火曜日(祝日の場合は翌日)

アクセス:JR生野駅から(バスにて) 生野駅西口乗車→(8分)→生野銀山口下車、徒歩10分

※土日祝日は、生野銀山(生野銀山停留所)まで運行します。

生野銀山のHPは、https://www.ikuno-ginzan.co.jp/index.php



 

 
菊のご門柱(菊の御紋が残る、旧生野支庁正門門柱) 料金が1円の一円電車は、明延鉱山のシンボルとして全国的に有名になりました。
生野銀山にある代官所門。現在は入場ゲートの役割を果たしています。 金香瀬坑道入口

 

 
坑道内約1.000m、年間平均気温13℃。 機関車は、1t積みの鉱石運搬車両を牽引しています。
巻上げ機は、大量の鉱石を地上に運び出す機械です。 鉱山資料館(江戸時代の銀山の様子が坑内模型で展示)

近代の生野銀山

 
  • 明治元年(1868年)には日本初の官営鉱山(政府直轄)となった。 明治政府は近代化を推し進めるため、「お雇い外国人第1号」のフランス人技師ジャン・フランソワ・コアニエを鉱山師兼鉱学教師として雇い、コアニエが帰国するまでの10年の間に、製鉱所(精錬所)を建設し、生野に日本の近代化鉱業の模範鉱山・製鉱所の確立をめざした。 明治22年(1889年)には生野鉱山と佐渡鉱山が皇室財産に移され、宮内省御料局の所管となった。 明治29年(1896年)には三菱合資会社に払い下げられ、以後、三菱の経営で国内有数の大鉱山として稼働してきたが、昭和48年(1973年)に閉山した。 その間に掘り進んだ坑道の総延長は350km以上、深さは880mの深部にまで達しており、採掘した鉱石の種類は70種にも及んでいる。
  • 昭和49年(1974年)に観光施設として史跡・生野銀山が開業した。
    平成19年(2007年)には、銀が発見されてから1200年を迎え、「生野銀山開坑1200年事業」が盛大に執り行なわれた。
    平成23年(2011年)には、生野銀山文化ミュージアム(生野鉱物館)を新装オープンした。



 

 
新名神「宝塚北」サービスエリア休憩。 中国自動車道加西サービスエリア(ランチ休憩) 天ぷらそば800円
生野銀山入口の紅葉。 生野鉱物館(生野銀山文化ミュージアム) 鉱山資料館生野銀山には3つの資料館が併設されています。
コアニエの胸像 坑道内約1.000m、年間平均気温13℃。 ワインが熟成されています。
近代の坑内(ボーリング作業) 近代の坑内(ボーリング作業) 銀山不動滝は、兵庫県朝来市南部を流れる市川の枝沢に懸かる落差15mの斜瀑。
江戸時代の坑内 江戸時代の坑内(出方相改取締)

 

 

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